みなさん、こんにちは!!
記事を読んでいただきありがとうございます。
今回は「父子家庭の経験(親子コミュニケーションの重要性)」をお話しします。
私の両親は1993年の私が10歳の時に離婚。上京する19歳まで父子家庭の2人暮らしでした。
急な両親の離婚から家庭内の変化など特に大変ツラいと感じたのは小学生時代です。
・子どもとの関り方やコミュニケーションに悩んでいるお父さんお母さん
・親との関り方やコミュニケーションに悩んでいる子どもさん
・現実を受け止めることに苦しさや悩みがある子どもさん
この経験が現在父子・母子家庭の方で悩まれている方の参考になれればと思います。
両親の離婚
母は1991年(私が8歳小学2年生)から、たびたび家を空けることがあり、その期間も1日、2日、1週間、2週間と徐々に増えていきました。初めは「何だかおかしいな、寂しいな」と思いつつ「何かしら大人の事情もあるのだろう、帰えると約束した日には母も自宅に戻っているから大丈夫」と自分を納得させる理由を探しながら過ごしていました。
1993年(私が10歳小学4年生)から、帰ると約束した日を過ぎても母が自宅に帰ってくることがなくなりました。小学校からの帰り道に「今日は帰って来てくれてるかな。玄関を開ければ「お帰りなさい」とお母さんは出迎えてくれるだろうか」という淡い期待をもちつつ、現実(鍵のかかった家、お帰りなさいの無い家)に打ちのめされる日々を過ごしていました。
1か月、2か月、3カ月、と自宅に帰ってこない日々が長くなると「これは何かが起こっているんだ。もしかすると親は離婚したのかもしれない。だからお母さんもう帰ってこないのかもしれない。」と10歳ながらに自分の周囲で起こっている事態を推測するようになりました。
しかし帰ってくると思っていた母がもう二度と帰ってこないということを冷静に納得できるほど大人ではありませんので、「現実」と「期待」の間を揺れる日々でした。父は口数が少ないので、自ら「実は離婚した」と報告してくることはなく(父なりに色々な葛藤があり、言い出せなかったらしいのですが)、何も報告してこないということに対しても私の不満は父に向けられていくこととなりました。
父と2人の生活
気がつけば理由も分からず母がいなくなり、父との2人生活が始まりました。
・父は食事担当
・私は家事担当(掃除(部屋,トイレ,風呂,玄関,廊下,台所)、洗濯、布団干し、アイロンがけ)
を行う様になりました。
母がいないという喪失感から「あの家は母親がいないから…」「離婚しているから〇〇が出来ていない…」という見られ方をしたくない、そうならないために生活はキッチリしなければ、という脅迫観念の様な気持ちを抱えて過ごす日々。
小学校から帰宅すれば毎日掃除機をかけ、毎週日曜は半日かけて家を大掃除、下着や靴下にもアイロンがけを行うなど、当時を振り返ればとても神経質になっていました。
父は今まで行ったことがない料理を祖母に聞いたり料理本を見たりしながら、魚料理、肉料理、和食、洋食、中華、何でも努力して作ってくれ、学校のお弁当も小中高と必要な時は作ってくれました。
小学校生活の変化
母親はPTAに属していたため教師や親御さんと様々なことで関りがあったため、突然いなくなったことで教師や親御さんにも離婚を知られているだろうと思うと、学校生活にも空気感の変化を感じました。
・特に学校行事(授業参観、運動会、学習発表会)は自分だけ母親が来ていないという思い、
・同級生から「〇〇君のお母さんは来ないの?」と聞かれて誤魔化した回答をすること、
・家庭事情を知っている人からは哀れみや特異の目で見られているのだろうという感覚、
など全体的に肩身が狭いという感覚を常に抱えて過ごしていました。
中学生に進むことで、
学校行事への親の参加も減り周囲の目を気にしたりすることも減り気楽になりました。
父との関係
父は、息子の私に対しては口数が少なく積極的に会話をするタイプではありませんでした。
離婚したことに対し申し訳ないという気持ちもどこかにありつつ、引け目に感じていた部分があったのかもしれません。コミュニケーションが少ないので意思疎通も少なくなり、10代の多感な時期は関係性も良い状態ではありませんでした。
風通しのよい良好な関係ではありませんが、小学生の時にドライブ、外食、買物、など2人で出かけた日々が強く記憶に残っています。
19歳で上京し一人で生きる大変さを経験した上で、父が父子家庭で子を育てることの大変さなど改めて考えることになり、23歳以降徐々に深い話をするようになりました。
両親の離婚、父子家庭を経験し伝えられること
大人、親御さんに対して伝えらえること
10歳という子ども時代に両親の離婚や父子家庭を経験したことは、
私の人生に大きな影響を与え、30年経過する今となっては経験から得たものがあると感じます。
状況や相手の機微を読む力(観察力、洞察力)が養われました。
10歳で感じたことの記憶がしっかり残っています。
「状況から推測すれば、おそらく両親は離婚したということなのだろう」
「周囲の大人たちも気を遣ってあえて話題に触れないのだろう、自分も触れない方がいいのだろうか」
「家庭状況を知っている人からは、可哀そうと思われているのだろう」
「はっきり話してくれた方がスッキリするかもしれないのに」
私の経験から語れるとすれば、
子どもは周囲(大人の言動)をよく見ている、自分で考え状況把握が出来る、ということです。
その上で、
子どもという立場を理解し空気を読み、あえて分からないふりをする力もあります。
そのため、大人が子どもと関わる際に子ども扱いするのではなく、
・1人の人間として対等に向き合い必要なコミュニケーションをとる。
・必要なコミュニケーションを大人が避けない。
という意識はとても大事なことだと考えています。
私自身、1993年当時に父や母から離婚について告げられたことはありませんでした。
私が10歳という子どもだったという配慮だったのかもしれません。
しかし、自分の知らないところで話が進んでしまい、結果だけを受け入れざる負えない立場というのは、その後の親子の関係性にマイナス影響を及ぼす可能性は大きいと思います。
お子さんに対して伝えらえること
自分の年齢、家庭環境、親の状況、発生している問題、は様々ですが、自分の年齢が高くなれば家庭の問題に対し対応力や耐性もついてきます。一番つらいのは中学生以下の年齢で家庭の問題が発生することではないでしょうか。対応力や抗う力がないので環境に流されるしかない状況が生じやすいからです。
幼い年齢だと、これからの人生を前途多難と悲観してしまうかもしれませんし、見通しや希望を持つことが難しいと感じるかもしれません。
- 時間が解決する可能性があれば、自分が大人になるのを待つ
成長すれば関わる環境にも変化があります。学校も小中高で全く異なるので環境変化すれば自分が感じていた悩みが小さくなることもあります。大人になれば問題に対する向き合い方にも変化が出ますので「この数年間はあえて考え過ぎない、今を楽しむことに考えを切り替える、大人になってから再度考えてみる」ということもできればよいのではないでしょうか。 - 時間が解決する可能性が低ければ、周囲の人に相談する
今を耐えることが出来ない場合、抱え込んで苦しくなることを避けるためにも、相談することは大事です(親族(親、兄弟、親戚)、友人、知り合い、先生、相談できる窓口)。もちろん誰が頼りになるか分かりませんし、相談しても大した変化を感じられないということがあるかもしれません。しかし相談することで、自分の考えを整理したり、苦しさを軽減できたり、理解してくれる人が出来れば安心感が増す可能性もあります。そういう面でも抱え込むのではなく相談することに意味はあります。
今回のお話が皆さんのご参考になりましたら嬉しく思います。